
太平洋戦争末期、本土空襲のあとには必ず“紙の爆弾”が大量に投下された。
米軍の宣伝ビラ「落下傘ニュース」だ。国民の戦意喪失を狙う作戦であったが、そこに書かれていることは大本営発表とは全く異なる内容だった。
第1号は1945年3月13日で最終号は8月18日。この間に約6000万枚もばら撒いたという。
宣伝ビラを拾った国民は、すぐ憲兵隊に届けなければ処罰されたし、内容に興味を持ったら“爆死”扱いされた。
昭和天皇も皇居に落ちた「落下傘ニュース」を拾い、戦況の悪化を悟ったらしい。
さて、その第1号となる3月13日付けの落下傘ニュース。
1面トップでは「B29連続猛襲 東京名古屋の航空機製作工場壊滅に瀕す」と題して、3月10日の東京大空襲、そしてそれに続く12日の名古屋大空襲の成果を伝えている。
これにより航空機の部品製造工場を破壊したとしているが、よく読めば焼夷弾と書いてある。軍需工場を壊滅するという名目はあったのかもしれないが、それ以上に一般市民を、一般家屋を焼き尽くすための攻撃だった。
下の段には「米軍猛攻 硫黄島の大半占領」という記事も出ている。
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米軍、沖縄上陸を伝える4月7日の落下傘ニュース。
フィリピン残存日本軍撃滅、台湾猛爆、立川初空襲などの記事も掲載されている。
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8月11日付けの落下傘ニュースは「ソ連参戦」「広島の原爆」「長崎の原爆」を伝える。
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最後の落下傘ニュース。8月18日付けだ。
フィリピンの密林などにも撒かれたが、拾った敗残兵たちは敵の謀略と思い信用することはなかったという。
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米軍は「落下傘ニュース」のほかにもビラを投下していた。なかにはB29の空襲を予告するビラもあったという。
原爆投下前に大量の予告ビラを撒いていたら、もっと早く戦争をやめていたのではないか…
おまけ情報:横浜市史資料室で行われている展示会
テーマは「占領軍のいた街―戦後横浜の出発」だ。
場所は横浜市中央図書館地下1階。本を借りに行ったときに、見てこようかな。
そして、こんなのもあるけど、どうしようか…



