
昭和10年のオープンから昭和20年の横浜大空襲で街が壊滅するまでの10年間、現在の善隣門橫に旅館と間違えるような中華料理店があった。日本人の経営する「平安楼」である。
冒頭の画像は昭和13年の「火災保険図」。戦前に火災保険会社がつくっていた、今でいうところの「住宅明地細図」で、大きなお店には店名も書きこまれている。

この場所には現在、「横浜大飯店」や「華銀」などが建っており、現地を歩いてみると、その敷地の広さが実感できる。
「平安楼」は建物の素晴らしさや、店主の経歴などから一部の人たちの間ではよく知られたお店だ。開港資料館の企画展、館報「開港のひろば」で、写真とともに紹介されているので、ご覧になった方も多いと思う。
旅館のような建物だったので、当然のことながら中庭があった。おそらく各部屋からそれを眺めることができたはずだ。
また、「平安楼」はサンマーメン発祥の店という説もある。横浜市が発行する季刊誌『横濱』第7号にそのことが記載されているのだ。
そんな「平安楼」であるが、最近、仕事で知り合った方がこの経営者の子孫であることが判明した!
ことの発端は、その方のお父様が飲食店をやっていたという話だった。聞けばその店は私が何回も通った店だったのである。
そこから祖父、曽祖父の経歴などに話が飛び、「むかし、中華街大通りの入口角で大きな店をやっていた」という情報を得た。
もしや……と思い、念のため店名を聞くと「平安楼」だというではないか!
すごい大発見である!
その後、いろいろ昔の話を聴かせていただいたが、先日、こんな写真のコピーを持って来てくださった。

3枚セットにコピーした写真。

こちらは4枚セット。

せっかくなので、それらを1枚ずつ拡大してみた。
現在の善隣門側から撮影した写真はよく見るが、これは大通り内から写したもの。巨大な提灯が1対。なかなか印象的である。
カラー写真ではないので色は不明だが、赤提灯に黒字だったのだろうか……。

こちらはよく見る構図。

洋間のほかに、違い棚や床の間のついた和室もあった。

和室をアップ!
この建物にふさわしい部屋だよね。

大広間。
料理が取りやすいようにと日本で発明された回転式テーブルも備わっていた。

ご家族向け日本間。
まるで旅館の客室のようだ。

建物に取り囲まれた庭園♪
こんな写真を見ていると、あの店を思い出しませんか?
最後にオマケを一枚。

「平安楼」の経営者、沼田安蔵氏がどんな人だったのか、神奈川新聞が昭和33年7月27日の記事で取りあげている。
「横浜植木」の社長もしていたとは!
あらためて驚いた。